知っている言葉を全部並べて、君にこの気持ちの正体を伝えようとしても、(きっと無理なんだ)
いま私の 願いごとが かなうならば 翼がほしい
動けなくなった。
と言うのは昔センパイから聞いた事があったので(「立てなくなることってない?」、と曖昧に)、何となくその存在を感じつつも、自分にはそんな哲学的な事象は起こらないだろうと高を括っていた矢先に動けなくなったのだ。足が、指が、すべてが巧く動かない。呼吸だって、どうやるのか分からない。机に向かった儘動かなくなって、それきりその儘で、誰に知られる事すら無く。
そうか、センパイはこれを伝えたかったのか。と今更だけれども理解した。
指先に溺れる空気の波が、私の血液を失わせてゆく。
「やってしまった後悔よりもやらなかった後悔の方が記憶に残るラシイ」
センパイは教室の隅で不敵に笑いながら私を見ている。
私がたった今全く動けない事をきっとセンパイは知っている。顔が巧く動かなくてセンパイの事が良く見えない。センパイの声、センパイの姿、センパイの瞳、その笑い方。全てを見ないと安心出来ない。こころにゆとりが出来ない。毒を吐く事すら出来ない。センパイを見ていたい。センパイと喋っていたい。センパイを感じていたい。いつも、いつまでも、出来れば、えいえんに。 (そんなこと ありっこない)
「だからあたしは、いつもヤッチッタ後悔をするようにしてル。それがどんなに間違った事だとしても訂正する気は全く全く無いのダ。あたしがそうやって歩いてる事を奴等は、知らん」
あとのまつり。
その言葉が不意に脳裏を過る。
きっとセンパイは後悔しない生き方をしているのだろう。先駆者の居ない生き方だ。
それはどんなに過酷な事なのだろうか。私はその始まりも端も終わりも知らない。きっと説明されても分からないから説明を求める事もしない。言葉にするのはひどく愚かしい事だろうし、センパイの中で立証されている事を私が聞いてどうこうする問題じゃない。けれどセンパイはそうやって生きていた。そうやって。
たったひとりきりで、足元も覚束無い。ひとりきりで生きている。私はそれに加わる事が可能だろうか。否、不可能だ。センパイは頭が切れるから、そんな事はとっくの当に分かっているのだ。私はセンパイの「ひとつ」には成れないとゆう事。それをセンパイは見極めている。きっと、かなしいけれど、それは真実に限りなく近しい。しんじつは曖昧だから、よくわからないのだけれど。
「だから奴等はあたしに立ち向かってくるし、あたしは奴等を倒す。あたしは死ぬのは御免ダ」
この背中に 鳥のように 白い翼 つけてください
「未だ死にたくない。」
センパイ、呼吸の仕方を教えてください。吸って吐くのには、どうすればいいんですか。
センパイ、生き方を教えてください。どうやって生きるのですか。
ほんとうに楽しいのですか。ほんとうに愉快なのですか。ほんとうは馬鹿みたいに涙を流しながら言叫び倒す台詞じゃないんですか。笑っているけれど、ほんとうは息の続く限り喚き散らしたいんじゃないんですか。誰にもそれを知らせずに何故沈むんですか。どうしてまったくあなたってひとは。私に力が無いからなのですか。私に翼が無いからなのですか。私は喋れなくなって動けなくなって、脳味噌の回転速度がごろごろと重たく遅くなるのを感じていた。
ああ、そうか。
そうだったんだ。
ふくざつに見えていたけれど、ふくざつにしていたのは自分自身で。
絡まる糸を丁寧に解いていけば、ほら、簡単に見えるのは、己の一番よわくて頼りない部分なんだ。
ああ、そうか。動けなくなる理由はそれだったんだ。私は私を護っているのだ。それはとってもぎこちない遣り方だけれど。私は私を護っているのだ。知らぬ内に、こころはどんなに死の方向へ突っ走ろうとも、身体は生きようとしてしまうんだ。ああ、そうか。動けなくなるのは一種のサインなのだ。
「…………センパイ」
「ウン」
「まだ死なないでください」
「ウン。」
この大空に 翼をひろげ 飛んで行きたいよ
「これはエゴかも知れないですけど、私より先に死なないでください」
「……ははっ」
悲しみのない 自由な空へ 翼はためかせ 行きたい
センパイが動けなくなった時、センパイが其処迄して護りたかったセンパイの一番弱い部分とは一体何処なのか少し気になるけれど、私がそれをセンパイから聞いた所で何の進展も無いだろう。支え合って生きてる訳ではないのだ。私とセンパイは別の人間だ。別個なのだから、分かり合える筈も無いのだ。それを私達は分かろうと奮闘する。
いつしかそれは自分自身に成り、他人と自分の境界線が曖昧に成った時、私達はすべてを理解するのだろう。けれど其処に辿り着くには余りにも遠過ぎる。今の状態だったら天と地が引っ繰り返っても無理だろう。けれどいつしか境界線は曖昧に色付く。けれどいつだって境界線は必要だ。空に電線が走査線みたいに線を引く様に。それが個人とゆう名前なら尚更で、朧げに判断するには杜撰過ぎて。
「今さァ」
いま富とか 名誉ならば いらないけれど 翼がほしい
「市川ぴょんがそうゆわなきゃ、たぶんあたし死んでた」
「……何でですか?」
「……ふ、ふはっ、だって、だってサァ。ハハハッ! 何でなんだろうネェ。……何でだろうネ」
センパイは笑う。
教室の隅でセンパイは笑う。なんでだろう、なんでだろうね。そうつぶやきながらセンパイは笑っていた。ほんとうは答えなんてとっくに出てる。追い掛け回されるのが疲れました。もうやりたくありません。もう戦いたくありません。そんなの知ってる。センパイが軍に就職するのも知ってる。センパイが造ったものを軍が回収したのも知ってる。それに対してセンパイが酷く憤激を表していたのも知っている。だからこそ、謎だ。
センパイの銀色のブレスレットの意味も知ってる。センパイの名前の意味も知ってる。けれどセンパイの事で分からないのは、どうして立っていられるのか。どうして笑っていられるのか。どうしてふつうを振舞っていられるのか。ふつうとはひどい言葉だ。「ふつう」を目指す為に様々なものが犠牲に成るのだ。たったそれだけを手に入れる為に。
子供の時 夢見たこと 今も同じ 夢に見ている
「イイヨ、死なねェ。あたしは市川ぴょんが死ぬまで死なねー。約束シヨウ、約束。口約束でいい。あたし、約束を守るのには自信があるのダ。絶対破らネーヨ。ははっ、中々いいんジャマイカ?」
「学校の規定を破りまくってるのに大きく出ましたね」
「ゆびきりげんまんシヨウ」
この大空に 翼をひろげ 飛んで行きたいよ
センパイはゆう。「あたしはなんにもわるくない」、「わるいことしかしてない」。
相反する台詞だけれど、根本は同じなのだ。と最近に成ってやっと気付く事が出来た。遅過ぎる発見かも知れないけれど、このひとはわるいことなんてひとつもしていないのだ。それはセンパイのルールに則った考え方なのだけれど、「わるいこと」は人を殺したり傷付けたり、そうゆう事ではないのだ。法律や規定には縛られないのだ。寧ろ縛られる方が悪い事なのだ。
じゃあセンパイの重んじている「わるいこと」は何かとゆうと、それは未だ良く分からない。けれど闇雲に走っている訳では無い。センパイは様々な事を念頭に置きながら道端の石を蹴飛ばす様に道を開拓していた。生きるとゆう道。長い癖に細くて高さがあって、怖過ぎて普通ならば遠慮してしまう道。センパイは孤高の存在だ。模範も一般的なモラルも一般的常識も通用しない世界でセンパイは嗤う。
「市川ぴょんもゆびきりげんまんでお願い一個頼ム」
「珍しいですね、センパイが私にお願いするなんて」
「あたしは市川ぴょんより先に死なねェ。市川ぴょんはあたしより先に死なねェ」
「永遠じゃないですか」
「ソウ、永遠ダ。」
悲しみのない 自由な空へ 翼はためかせ 行きたい
やらなかった後悔がやってしまった後悔より記憶に残るのならば、私達が交わしてしまった馬鹿みたいで切なくて悲しくてそしてこころの底があたたかくなるこの約束は、やってしまった後悔なのだろう。
だからきっとこの胸の苦しみは誰に知られる事も無く忘れ去られてゆくものなのだろう。私が瞬間的に動けなくなった痛みよりも苦しみよりも、永遠の約束をしたセンパイと結んだ小指がただただ嬉しくて、そして泣きたい程痛くて痛くて堪らなくて、私は思わず血液が沸騰するような感覚を味わった。ずっと約束が結ばれ続けてればいいのに。ずっと、このまま、永遠に