夜に溶け残った僕の心臓を (君が撃ち抜いて) (きっとその銃声で目が覚めるから)

 熱情と憤激は似ている。どちらも暴発するもので、それが人間らしいと形容詞されるなら尚更の事なのだけれど、ニヒルな笑みを浮かべているセンパイにはどちらも当て嵌まらない。と勝手に思った。


「あっちむいてドーン、シヨウ」
「ドーン、って何ですか。ドーンって」
「向いた方が爆破すんの。ソーしたら嫌でも見るよネ」


 私は遥か彼方を見遣りながら、こんな平和な風景の中にセンパイの仕掛けがあるのか。なんてほんとう今更な台詞が脳裏を過った。平和で平穏で何事も起こらないかの様に見えて、物凄く精密で緻密な計算が成されているこの景色が、紛い物だとゆわれればきっと其処迄だろう。その方がしっくりくるし。

 知らない内に何か巨大なものに追い駆けられていた。
 センパイはとっくの当に気付いていたかも知れないし、常時感じているのかも知れない。
 説明するのは少し難しいけれど、焦燥感に似たものなのだと思う。刻一刻と過ぎ去る時間から目をそむける事が不可能なように、追い駆けられて追い詰められるものは段々と侵食していった。

 誰かの目を覚ますような存在になりたい。はかない希望。


「だからサ、学校の色んな場所に仕掛けてきた」
「何をですか」
「爆弾。」
「阿呆」


 (そう、それは、きっとまるでセンパイのような、オレンジ色の猫)


 教室の前の棚に置いてある花は誰も水をやらないから枯れてしまった。頭を深く垂れ下げて謝っている。ごめんなさい。大切な言葉。挨拶。でもそれを忘れてしまった人は多い。「ごめんなさい」と「ありがとう」。「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「さようなら」。どうして忘れてしまったのかすら忘れてしまった。

 だから居なくなる時位、はっきりと清々しく笑いながら言わせてください。
 それでは、皆様、「さようなら」。


「高確率で職員室付近が爆破しマス」
「もうそれあっちむいてほいじゃないですよ」
「だからあっちむいてドーンなのダ!」
「威張って言う事でもないですしね」
「ドーン!」


 ドーンッ

 思わずそっちを見た。

 今から行こうとしている筈の職員室付近で先生達がざわめいていた。
 これじゃあ近付けないじゃないか。と私は内心つぶやきながら、センパイの頭をペチンと叩いた。


「なんばしよっと」
「こっちの台詞です」


 行き先の筈の職員室が爆破されて大騒ぎでしょうがないので、踵を返して教室に戻る事にした。センパイは私の横や後ろを歩いていて忙しなく動き回っている。いつもの事なので放っておいたら、不審な挙動をし始めたので呆れた視線を送ってみれば、センパイはわざとビクついて見せて、それから悪巧み百パーセントの笑みを浮かべるのだ。ああ、なんて綺麗な笑い方。反則。

 センパイはひどく甘ったれで、ひどく好い加減で、ひどく自己中心的で、さびしいひと。
 だから私は肩を竦めてセンパイに問い掛ける。「どうしたんですか?」、また。


「ハサミー、ハサミー」
「爆弾の解除でもやるつもりですか」
「それは面倒臭ェからやらん」
「センパイの『面倒臭い』の基準が物凄く不明なんですけど、ハサミで何するつもりですか?」


 学校の至る所に爆弾を配置する事が面倒臭くない事であり尚且つ有益な事と認識しているのであれば、それを解除するのが面倒臭いだなんてどうして言えるんだろうか。センパイは謎だ。謎、と言う一言で解決するには足りないだろうけれど、それ以上言える程深入りもしていない証拠だ。

 まだだいじょうぶ。ひどい言葉。

 まだだいじょうぶ。まだへいき。まだ、まだ。
 センパイの「もっと」、と似ているな。と少し感じた。もっともっともっと。そうやってセンパイは空高く舞って落ちてこない。飛ぶ鳥は後を濁さないと言うけれどセンパイが飛び去った後には様々なものが落ちているのだろう。濁しているのだろう。汚濁したセンパイの残り香で私はセンパイを見つけられるのだろうか。


「コンパクトサイズですけどいいですか?」
「イイヨイイヨ、爪切るだけだから」
「ハサミで爪切るとギザギザになりますよ。あんまりオススメしませんけど」


 包丁を武器だと認識しているこのオレンジ頭のイカレトンチキに、刃物を与えるとゆう行為は危険極まりなかったのだけれど、取り敢えず目の前の人間を殺傷するような事態には早々成らないと信じたかったので恐る恐るセンパイにハサミを手渡した。センパイは歩きながら爪の白く伸びた部分をパチリパチリと器用に切っていく。円形にカットしながら肉も少し切った。痛いんじゃないだろうかと思ったけれど、センパイの事だから何かと理由を吐けて反論する術を持っているだろうから、何も言わない事を決め込んだ。


「小指の爪だけ伸ばせるとユメ叶うってゆってたネ」
「誰がですか?」
「誰か。」
「曖昧ですね」
「デモ、」


 センパイは最後に小指の爪だけ残しながら、目を窄めながら言った。
 このひとは時々氷よりも冷たく鋭い目をする。


「絶対に叶わないユメもあるんダ。」


 ぱちん。


 決して大きくも無い小指の爪を切り落とす音が、私の耳にこびり付いた。
 センパイを見直すと矢張り笑っていたけれど、矢張りそれはいつもの笑みだったけれど、それが私の脳裏に深く影響を与えた様だった。ゆめ。センパイの夢って何なんだろう。

 決して叶う事の無いセンパイの夢は誰かに拾われることも無く、唯何処かの海に静かに漂い続けていつしか沈む。そうして藻屑に成った所をセンパイが見て言う。「ホラ、見ろ」。だけどセンパイはそう言いたかった訳じゃないのだろう、きっと。センパイは突き放した物言いをするけれど、ほんとうに突き放したい時には何も言わないのだから。

 ほんとうに突き放したい人間達、センパイに群がる軍人だとか。そうゆう人達に対してセンパイは何も言わないのだ。卑下するけれど、言葉を当てるに値しないと痛感しているのだろう。私は未だ私にバレる嘘を吐いてくれるセンパイが居るだけマシとゆう訳だ。それに気付けるのはほんの何割か。居るのだろうか。


「もし……、いや、ごめんなさい。仮定の話は嫌いですよね」
「想像力を培うには大事だゾ」
「それ以上想像力を溢れさせられてもかなり困りますよ」


 もしもセンパイの夢が叶ったなら。
 もしも私の夢が叶ったなら。

 そのとき、私達はどうなっているのだろう。 (それは死んでしまうほどに、儚く、)


「安心シィー」
「何を安心するんですか」
「未だ諭吉は笑っちょる」
「意味分かんないですよ。どうして爪の話から夢の話で諭吉の話になるんですか」


 センパイは、払拭出来ない程強烈なイメージを相手に植え付けるのに、今にも儚く飛び去ってしまいそうなイメージを抱くのは、その余りに悲壮過ぎる笑みが関係しているのだと思う。センパイはとてもうつくしくわらう。造形美だとかそうゆう意味じゃないのだ。このひとはすべて受け入れて笑っているのだ。ほんとうならば叫び、喚き、狂い、嫌だと首を振りたくなる様な状況下で、虎視眈々と力を蓄えながら笑っているのだ。

 だから誰もセンパイの夢の邪魔をする権利なんてないのだ。
 元よりセンパイは独りで、これからもずっと独りで、私なんて存在が記憶の奥底に沈殿する位先迄きっと独りで、悲しいけれどそれはほんとうの事であり、事実。センパイの夢が叶う時、傍には誰が居るのだろう。きっと誰も居ない。誰も彼も居なくなった時にセンパイの悲願が達成するのだろう。なんて悲劇。


「もしかしたら人生には逃げるか戦うかの二択しか存在しないのかも知れん。だーぐァ、ワチキはいつまでも逃げてるのもイイと思ウ。逃げるのも、イイ。逃げてればイイ。逃げ切れれば尚更、イイ」


 センパイのその顔は凛としていて表情は精錬されて酷く尖っていた。普段巫山戯た笑いに中和されている所為なのか、時折ぞっとする。ぞっ、と、する。いつも気に留めていなければ成らない事実なのに。


「シカシ、ヒトは何処かで詰まる。それは善意と呼ばれるものかも知れんし本能かも知れん。だが詰まる。逃げるのは嫌だ。ダッテ逃げなくては死んでしまう。デモ自分が逃げた所為で全く罪の無いひとびとが殺されるかも知れない。それも嫌ダ。そうゆうワガママを言い続けてるとヒビが生じていつか詰まる」


 センパイの想像している世界に少しでも近付こうとして鼻先を突き出してみれば、センパイは透かさずそれを叩き落とすのだろう。何を馬鹿やってんダィ。そんな口振りで私の行動の全てを否定する。誰かは誰かに成れない。誰かは誰かに近付けない。だから境界線があるのだ。最初で最後の要塞の様に。


「ダカラ明日世界が終わるとしてもあたしは狼狽シナイ。諭吉は微笑ム。それはいまがきっと、」


 不意に。
 何かに小突かれた様にセンパイが振り向いた。私も釣られて振り向いた。けれど誰も居なかった。
 センパイは小さな笑いを込めながら溜息を吐いた。長く長く深い溜息だ。私はその溜息の意味を少しだけ知っている。だからセンパイがこれから駆け足で何処かに向かうのだろうと言う事は何となく分かった。


「行ってくらアー」
「行ってらっしゃい」


 センパイはひらり、と窓から飛び降りて手をひらひらと振った。私も振り返した。
 「行ってきます」「行ってらっしゃい」。むずがゆい言葉だ。
 唯その一言を言う為に、当たり前の様な一言がどれ程大切なものか私は余り理解していなかった。センパイと会う迄は。でも今なら分かる。これはとても貴重な言葉だ。ひとの数だけその言葉が生まれる。うまれる。ことばがうまれる。意思の疎通がある。センパイの事は全然分からないけれど、これだけは言える。私は、こんなセンパイとのささやかな交流が、ささやかな交わりが、何よりも嬉しかった。