それは嘘だと百も承知で君を信じるよ
何かを手に入れる度に何かを手放さなければならないならば、私は最初から欲しようとは思わない。重さを量る事なんてしないのだけれど、居なくなってしまったものは元には戻らないし、壊れてしまったものも直らないからだ。修復不可能なまでにぼろぼろになってしまったらどうしよう。そんな事が頭を過る。
「『あなたは知人から一冊の本をもらいました。それは、有名な童話のようですが、あなたの知らない物語です。この本はどんな内容の物語だと思いますか』!」
「それはある種のハプニングですか。それとも心理テストですか?」
「心理TEST。」
「童話ですか」
それは大切にしているからだ。いまを大切にしているからだ。
もし手放すのが簡単ならばそうは思わない。私はいまが大事なのだ。現状維持が大切で、現状が変わる事にひどく不満を抱いている。恐れを抱いているのだ。だから私は今を手放す事が惜しいから何かを手に入れたいとも思わないのだ。それ程いまが大切だから。この関係がなによりも素敵に見えるから。センパイが居て、私が居て、きらきらと輝いている。ひどく曖昧に。けれど、確実に。
「残酷なんじゃないですか?」
「テスト結果は『あなたが、こう生きたいという願望』、ですってヨ」
「身も蓋もないですね」
それはキラキラと、チカチカと輝いて、その癖泥だらけでぐちゃぐちゃだ。
いとおしいと想うのは当人達だけなのだろう。私だけかも知れない。センパイは嵐の様に過ぎ去るひとだから、新たな住処を求めて直走るかも知れない。後ろなんて振り返らないで、一目散に走り抜けるかも。
だけれど私は今現在がとても素晴らしくてみすぼらしくて汚らしいものだと知っているのだから、素晴らしくくだらないこの世の中に死地の光が見出せるのと同じ様に私はセンパイを見出した。センパイにとっての死地の光が何なのかは知らない。けれど私の活路にはセンパイと言う光が必要だった。いまだって必要。
「次も本関連デスヨ。『本をめくっていくと一枚だけ色の違うページがありました。それは全体のどの部分にあると思いますか』! これはちょっと分かり易いカモ」
「転機でしょう」
「BINGO!」
センパイが嬉しそうに笑うから、その反則的な笑顔に騙される人間は多いんですよ。と忠告をしたくなったけれどやめておいた。私は本棚から書籍を取り出しながら借りたい本を探している。センパイはキャスターの付いた椅子でくるくる廻りながら遊んでいる。手には本がある。心理関係の本なのだろう。
何を借りようか。大衆向けの本は面白くない。面白いのはマイナーな本だ。
誰にも手を付けられる事も無く、誰の目に留まる事も無く、埃を被って息を潜めている様なそんな偶然的に見つけられる本。巡り合うのは難しいけれど、必ずあると知っているから。
「『物語の結末は、どうなったと思いますか』!」
「童話でしょう。早々残酷な話にはならないと思うんですけどね。主観で言った方が良いんですか?」
「テスト的に言えヴァ」
童話の結末。ハッピーエンド以外に何がある? 童話はかわいらしい人物がかわいらしい生活を送ってかわいらしい転機が訪れてかわいらしい山を乗り越えてかわいらしいハッピーエンドを迎えるものだと認識しているので、それ以外に想像が付かない。「不思議の国のアリス」もいちおう童話の分類に加えられるものだと思うのだが、作者の性的嗜癖があれでは。と考え物。この知識を植え付けたのはセンパイだけど。
童話は幼年児童の為の御伽噺、民話、伝説、神話、寓話、創作童話だ。
メルヒェンでファンタジー。だから登場人物に動物が多いらしい。
善行には褒美を、悪行には罰を。狡猾な欲は罰せられて不幸を呼ぶ。イソップ童話で良く描かれている。舌切り雀だってそうだ。小さな葛篭を持ち帰ったお爺さんは大判小判を手に入れ、欲に目が眩んだお婆さんは大きな葛篭を手に入れしかも家に帰る前に開けてしまった。そして不幸を呼んだ。
「善には誉を、悪には罰を」
「客観ー」
「童話ですし。登場人物が決まってるのなら又話は別なんですけどね。大抵そうゆう風に終わるんじゃないんですか、童話って。幼児向けの教訓で、悪人には罰が下る。違いますか?」
センパイは口を尖らせて不満そうにページを捲った。
プヒー、と何だか奇怪な音を立てながら図書室内を自由に廻っている。キャスターの回転音が憎い。
何か言いたげにセンパイは口を開くけど、センパイは半端無く頭が切れる為にその先を言わなかった。私も何となくだけれど分かった。だから半兵衛を決め込んだ。私がほんとうに思った結末は、
(ほんとうは、「人生の結末」なんだヨ)
「『あなたは空を飛んでいる夢を見ています。あなたは、どんな感じで空を飛んでいますか』」
「低空飛行」
「ウギャンッ」
「どうしたんですか?」
そうセンパイに問い掛けつつも本棚から目を離さず、じっくり本を探している私は大分進歩したんじゃないだろうか。とセンパイに言うと笑われてしまいそうなので私はセンパイにその事を言わない。其処迄考えてからキャスター付きの椅子の上で不貞腐れてるセンパイを小突いた。
「Ik begrijp het niet.」
「何語ですか」
「『あなたの悩みに対する現状』ダッテ。КАК БЕЗ РУК……подумать!」
何を言っているのか分からないけれど何か碌でもない事を閃いた事は分かった。
確かに「悩みに対する現状」、が「低空飛行」、だったら良く分からない結果だろう。
「ツマリ低く深い部分での悩み、深層心理!」
「センパイが読んでるのって深層心理の本じゃないんですか?」
「ハイ次ー」
「綺麗に流しますね」
それなりに私にも悩みがあって、矢張りセンパイにも悩みがあって、そんな事をあっさりと口に出せないから悩みなのであって、深い泥沼だ。言い合い怒鳴り合う事で問題が解決するのはほんの一握り。言い合いに疲れ、言葉の海に沈み、愛憎混じりながらも這い上がれる人々と言うのは初めから決まっているのかも知れない。それも誰かの手を借りねば無理だ。だから必然的に決まってくる。
だが真実を言い合える仲とゆうのは早々存在しない。
真実でぶつかり合えない。ぶつかるとゆうのは恐ろしい言葉だ。
だから真実の前には必ず嘘がまみえる。混ざる。嘘は人間の証拠と誰かが言った。センパイは元より偽名を駆使しているので分かり易いが、嘘に因って護られているものは幾つもある。
例えば、そう、たとえば、
いまが嘘だと言ってしまえば、何もかもが楽になるでしょう?
「『あなたは空を飛びながら何を考えていますか』!」
「落ちないかどうか」
「不安か」
「そうです」
これは夢だと言ってしまえば、何もかも投げ出せるでしょう?
「『あなたはどこに向かって飛んでいますか』」
でもセンパイはそうしない。
楽にしないし投げ出さない。嫌と言う程現実を受け止めて凝視して掴み掛かる。たったひとり、地獄の底よりも下で踏ん張って、目にごうごうと炎を宿し、高らかに宣言する。「いまにみてろ」。
世界はセンパイをひとりきりにする。センパイはひとりきりになる。知っている。孤独の深さは知らないけれど、私はセンパイと言う人間を見た事があるのだ。それは払拭出来ない。払拭しては成らないと分かっているから。幾らこの世界が嘘でまみれて汚濁していて屍の上を歩こうとも、センパイが目の前に居る事は真実なのだから、それだけは嘘で覆い隠したくないのだ。
センパイが此処に居たこと。居たとゆう事実。
それを消してはならない。隠してはならない。だってセンパイは立っているのだから。手に入れたものを抱き締めながら、宣戦布告をしながら悲しみの小舟の上に立っているのだから。
センパイを嘘にしてはいけない。
「メルヒェンな事ゆっていいですか」
「応、大歓迎」
オレンジ頭のセンパイ。うつくしくわらうひと。かなしいひと。さびしいひと。ひどく甘ったれで好い加減。天才で阿呆。どうでもいいことに真剣で、どうでもよくない事には好い加減で、溢れる才に溺れるように幼いセンパイがもがいている。言葉も無く。泣く事も喚く事もせず、わらう。
私はセンパイを知っているのだから、いつかセンパイが嘘に成ろうともそれを承知で私は傍に居る。
「信じてくれますか?」
「何じゃー、引っ張るネ」
「信じられない様な内容なんですよ」
私はそっとセンパイに近寄り、オレンジの髪をかき上げて耳元で囁いた。
センパイは少し黙り込んだ後、満面の笑みで応えた。
「メルヒェンじゃのー」
「でしょうね」
「連れてってやるヨ」
「……え?」
私はその時、その言葉の意味をほんとうに理解する事が出来ていなかった。と今更ながらに思うのだ。センパイがその時に笑った意味すらも分からず、そうして分かった時には私は既に居なかった。センパイはその時に既に予想していたのだろうか。これから起こり得る全ての事象に対して。なんてひと。
「連れてってやるヨ」
、(らくえんに。)
センパイは美しく儚く笑いながら、切なげに言った。壊れてしまいそうな位儚い笑みは、いつもの様に覇気が無くて、それでも、(あなたが、すきで、) 一瞬センパイがすべてを壊したがってる様に見えたから。
備考: 「飛んで行った場所」 → 「あなたが救いを求めている場所」