もし僕に読唇術が使えたら、君の最期の言葉を聞けたのに

 泣かないで だきしめたら 涙がこぼれちゃう
 怒らないで 自分がとても ちっぽけにみえる


「笑っていて! あなたのくしゃりとした、笑った顔が好きなの。ダケド、」


 だけど 泣きます 怒ります あたしは 人間なのです


「何の真似ですか?」
「ストリートライヴ」
「ならゲリラ参加で実地で歌ってきたらどうですか、センパイなら儲かりますよ」


 彼も彼女も人間で、表情があり豊かで、そしてちっぽけで陳腐ながらも人間をやっている。
 あたし達はもしかしたら「人間」を演じているのかも知れない。生まれながらの役者のように。求めるのは愛情ではない。熱情とも憤激とも違う。だがそれに近しい。転機を求めているのは事実であるが日常を維持する事が何よりも大変だと言う事を踏まえての発言だ。

 明日何が起こるのか分からないけれど何が起こっても笑って暮らしていたい。どんなに役者染みた笑い方であろうとも、あたし達は生まれながらにして役者なのだから、人生とゆう舞台に立ち、道化であろうが無かろうが、声を上げて存在表明をしなければならない。SO BUT、果てしなく続く一直線に歪みを齎すのは大変重要な事であり、最難関なのだ。時々生きるのが苦痛に成るのと同じ様に、時々理由が無いと生きるのは膨大で果てしなく感じてしょうがない。


 叫ばないで 届きやしないの 動けないんだもの
 喚かないで アン・ドゥ・トロワ すべて奪って眠りゆく

 だけど 叫びます 喚きます あたしは 人間なのです

 あたしは 人間なのです 人形じゃないの


「…………つらいんですか?」
「ウウン。」
「私が言うのも何ですけど、センパイは――、」
「ドーシタ?」
「次の授業に遅れます」


 笛を鳴らして 次の合図 待つ
 喉を震わして 君の言葉 響く


 ぴん、と伸びた市川ぴょんの背中。何故か飛び付きたいと想った。
 二つに括った黒髪が、記憶の奥でゆらめく。

 市川ぴょんの声は折り紙つきで、何たって少し前迄は合唱部のエース的存在だったのだから巧い訳で、時偶歌ってたりするけれどそれは声を枯らさない為だと知っている。声は使わなくなれば段々と出なくなってゆくから、喉をほぐすようにやわらかな歌声で、喉を刺激するのだ。

 対してあたしはどうかと問われればYES! 勿論それなりに歌える。
 武器には成らないかも知れないけれど、下手糞ではない。だからと言って誰かのこころを打つのかと問われればそれは又、別の話。別に誰かの為に歌ってる訳じゃないのだ。だれかのためじゃない。

 自分の為に歌うのには余りに、何と言うか気味が悪いし、ギターを奏でる手はもう痛いし、ならどうして? 疑問符に追い駆けられるのは好きじゃないのに、嫌いなのにいつもいつも追い駆けられる。答えがふたつ以上あるものは苦手で、割り切れないものも苦手。何故? 裏側を見せられる気がするから。人間の裏側。あたしの裏側。何が描かれているのか、否、描かれていないのか分からない。それを無理矢理見せ付けられそうになる。時々、そう感じる。


 時々は 疲れて 応えられないのかも知れないし
 希望通りの かわいいこには成れない

 One day. I'm dead so that it may sleep.
 Strip off the assimilated heart. Hide the tear which disappeared.


 何か衝動や衝撃を待っているのではない。襲撃は見飽きた。だが平穏には唾棄する。
 平和の象徴、鳩が飛び出して言う。クックー。なら何を待ってるのだろう、それとも待ってないの? 何も起こらない事を願っているの? クックー。死地の光はおまえには届かないよ。クックー。

 市川ぴょんは筆記用具と教科書を持ってあたしの前に立った。威風堂々。先生達でさえあたしと喋る時は腰が引けてるのに、市川ぴょんはあいつらの何倍も何十倍も強い。君は強い。きみはつよい。

 あたしが何か言おうと口を開いて、市川ぴょんも同時に口を開いて、ふたりとも何も言えずに口を閉じた。それが何だか面白くて空笑い。市川ぴょんはそんなあたしを見て、いつも通りの困惑の色を見せた。それが又面白くてワハハと笑う。ほんとうは何を言おうとしていたのか気に成った。訊くべきだった。それは後で気付いた。ほんと、君の前に立つ僕はどうかしちまってるんダ。いつまでも、いつまでも。


「どうせ、」


 使い慣れていないギターは、手に馴染まなかった。


「次の授業もサボるんでしょう?」


 肩を竦めてそう言う市川ぴょんの指摘はご尤もだったので、あたしは笑った。
 ほんとうは市川ぴょんが言おうとして言えなかった言葉の意味を知りたかったな。いまとなっては知り得る術はなにひとつ無いのだけれど、最期の君の歌位聞きたかったな。

 人生とゆうものがひとつでないのならば、其処には当然「たら」と「れば」が存在し、樹木の様に枝分かれしてしまうものならば。やってしまった後悔とやらなかった後悔とゆう二つのものが存在するならば。何故あたしはヤッチマッタ後悔を積極的に行う様にしているのか。何故人生には勝ち組と負け組が存在するのか。何処でそれは分かれるのか。あたしはどうしてこんなに成る迄頑張るのか。答えはひとつ。


「センパイ」
「市川ぴょん」


 それは明日、お天道様が又見れたらいいなあ。って、ただあたしはそれだけを望んでいたんだよ。
 明日、君に会えればいいなあ。それだけを。

 夢だったんだ。手を伸ばした先に誰かが居る事。「ネェ」、と問えば、少し高めの声で、「はい」。と応えてくれる誰かが居る事が、夢見た夢だったんだよ。ネェ、もういまは叶わないのかな。その時望んでいたのはそれだけだったんだ。おかしいと笑うかな。君はおかしいと笑うかな。こんな僕のささやかな願いが、生涯叶う事がなかったとゆえば笑うかな。だって君は居なくなるんだから。


 笑います 喜びます みすぼれたちいさな泪の宝石
 歌います 忘れないで ほのかに燻るちっぽけな悦び


「笑っていて! あなたの素っ気無い、やさしさが時にくるしいの。ダケド、」


 だけど 泣きます 怒ります あたしは 人間なのです

 あたしは 人間なのです