本当は僕はもっと早く、君と出会う前に死んでおくべきだったね

 こころをからっぽにした儘だと、良くないらしい。
 何かで満たしていないと、例えればコップ一杯に溢れんばかりに注がれている有益な水の様に、何かでこころを満たしていないと、こころがからっぽだと何かに憑り付かれ易いと聖書の聖句で見つけた。

 こころに出来た隙間から入り込むものは多種多様。だがこころを一杯に成る程のものを見つけられるのかと問われれば、直ぐには首を縦に振れないのが現状なのだろう。こころを満足させられるものは何なのだろうか。こころが一杯に成るのは何なのだろうか。センパイのこころはどうなのだろうか。


「祈りってサ、」
「はい?」
「信仰と確信なんダッテ」


 センパイは伏せた目をその儘に、淡々と得た事実を喋り出した。


「信じてなければダメ。頼らなくちゃダメ。それでも全てを押し付けるのもダメ。叶えてくれる確証が無ければダメ。意思に沿った祈りじゃなけりゃダメ。名と王国をきちんと把握してなくちゃダメ。ダメダメダメ。ダメばっか。これじゃあピンチの時しか祈らないのも分かるわヨー」


 からっぽのこころ。満たされないこころ。
 センパイにも存在しているのだろうか。身体の奥底に潜むそんな小さな罠にセンパイは気付いているのだろうか。きっと気付いている。だってセンパイの事だ。とっくの当に気付いているに違いない。気付いていながらそれを直そうとはしない。このひとは天性の策士だ。

 だからと言っては何だけど、センパイが時折見せる軽蔑に似た眼差しの意味や、表情が全く無くなる意味が少しだけ分かるのだ。センパイのこころはきっと (それは限りなく真実に近しい)、

 対して私のこころはどうかと問われれば、センパイが受け答えをしてくれるだけでいっぱいに成る。挫けそうに成る。おかしいと言われれば其処迄。だけど、もう歩かなくて良いと思ってしまう。もう進みたくない。もう見ていたくない。その癖、センパイの事だけはずっと一緒に居たいと思ってしまう無様なこころに、私はある種の敬意を送った。これは好きだとかそんな生易しい気持ちじゃないのだ。


「七十七回許すってゆうのは、永遠に許すってコト」


 私達は人間であり、おこがましくもあるけれど神の姿に習って造られた生き物だった。
 完全な人間は罪を犯し、それから不完全な人間が生まれる様に成った。

 私達は不完全な人間だから、過ちを犯すし、罪も犯す。後悔に駆られるし、どす黒い部分もある。不完全だからしょうがないのだ。だからその度に祈るのだ。 (ぼくをゆるして、かみさま) でも結局人間は再び罪を犯す。学習能力が無い訳ではない。不完全なのだから、しょうがない事なのだ。

 それはある意味運命論に似ていると世の中の人間は言う。定められたレールの上を走る様に脱線は許されず、予め運命付けられた (それこそ神様に) 道を歩ませられるが儘に罪を犯すのだと誰かは言った。しかしそれはどうなのだろう。一体どれほどの能力や限界を表明したのだろう。その道から外れようと努力をした結果だろうか。努力もせずに運命だ、運命だ。と唱えているのは余りにも杜撰過ぎる。


「そんなにスゲーなら、」


 センパイは私よりも沢山知識があるし、知恵があるし、用い方も知っている。センパイが天才と呼ばれる所以はそんな所にあるのではないか。センパイは賢いし目敏いから、きっと此処で私が何と言おうともそれを断ち切る術を知っているのだ。だから私は何も言わない、言えなかった。私が何をゆってもセンパイには届かない。こんなに傍に居るのにセンパイには届かない。

 けれどそれをセンパイが知ると、まるで怒られた子供の様にしょぼくれるのだ。
 センパイはセンパイなりに待っているのだ。私の言葉を。私が言うふつうで面白みの無い言葉を待っているのだ。だから私はそれだけを知るだけでこころが溢れる。いっぱいになる。満たされてしまう。挫けそうになる。倒れそうになる。頭を垂れて、だれかに祈る。 (このひとをしあわせにして!)


「なんで、朝起きるといっつも虚しいのかナァ」


 このひとは、さびしいひと。

 そんなに牢乎とした眼を見せ付けられて、理由を言えるひとがひとりでも居るのだろうか。否、居ない。
 センパイは知っているのだから。もう何の言葉もセンパイには届かない事。センパイはどんな忠告も聞かない事。己ひとりで立ち塞がる事。それを踏まえていてもセンパイは私の言葉を待っている事。

 私はいまのポジションから離れる気はさらさら無いのだけれど、センパイを満たせるのが私ではないのだとゆう事を私なりに知っているのだ。愚かだけれどそれだけは分かる。分かってしまった。気付かなければ良かった。ああ、ほんとう、なんてさびしいひと。


「あした、」
「ン?」
「晴れるといいですね」


 今日は少しだけ曇り。


「晴れるように祈りましょうよ、ふたりで」


 センパイは、私の不可思議な提案に目を瞬いた。
 けれど私は知っていた。センパイは「ふたりで」、と言う言葉に弱い事。それを知っていて言うのはひきょうだけれど、最近センパイは「ふたり」、と言う言葉に弱い。とてもよわい。


「ふたりで祈ったら、ふたり分、晴れのお願いが届くじゃないですか」
「――アア、ウン、そうだネェ」


 それでも雨が降っても私は後悔しない。雷雨が来てもいいのだ。晴れることに特に意味は無い。
 意味が無いとは突き放した物言いだけれど、せめてセンパイのこころに悪いものが入り込まなければ良いのに。と私は静かに思った。センパイはいいこでもわるいこでもない。こころががらんどうで、其処に誰かが滑り込むのは私がひどく癪に思うから。それだけだ。

 結局私は私の事しか考えてない。きっと。でも人間は不完全なのだから、それでもいいと思えるのは進歩した証なのだろうか。センパイのこころがからっぽでも、私のこころが溢れて挫けそうならば、その半分だけセンパイにあげる事が出来るのだろうか。最近はそんな事を考えていた。そんなちっぽけな事を。


「明日の天気予報なんだっけナー」
「雨ですよ」
「エー」
「だから祈りましょう、ふたりで」


 センパイの唇は弧を描く。それは溢れそうな笑みを隠す為。
 よかった、喜んでもらえた。私は倒れそうになるこころを必死に抑え込む。

 センパイのこころがからっぽなら、私のこころをほんの少しだけ分けてあげたい。そうしたらセンパイはいまよりもっと高く高く飛べる。飛び上がれる。羽ばたいて、知らない場所へと飛んでゆく。私はそれを見てみたい。センパイが成し得る技を見てみたい。成し得た先に何があろうとも私はセンパイを感じていたかった。センパイがどんな阿呆な事に全力投球しようとも、その暗闇の先のもっと暗闇の中に、センパイのみぞ知る何かが潜んでいる事を私は微かに感じ取っていたのだから。

 (でも、出来れば、ずっと、永遠に、このまま時が止まればいいのに。無様なこころ。)

 刺激的なセンパイ。さびしくてかなしいセンパイ。すべてをひっくるめてもセンパイのこころは未だ埋まらない。だから私は其処に少しだけこころを注ぐ。陳腐なこころを注ぐ。


「頭の奥底では分かっちょるんだけどネ。実践とナルト少し心配」
「杞憂で終わります。祈ればどうにでもなりますよ」
「ワーオ、カッコイイ! 結婚して!」


 朝センパイが目覚めたら現実に失望しないように願おうかと思ったけれど、夢の世界に安易に逃亡するようなひとじゃないのでやめておいた。センパイは現実世界に中指突き立てるひとだ。

 だから私は祈る。センパイがずっと笑っていられますように。不敵に、牢乎として、狼狽せず。
 ずっとわらっていて。むちゃくちゃな願いは何処かへ消えた。センパイは何を祈ったのか訊こうと思ったけれどやめた。センパイは握り合わせた両手を解放して、いつも通りの笑みを浮かべたからだ。

 ああ、そうだ。こうして私のこころはいっぱいに成るのだ。