ヒステリック・ワルツをご一緒に(アン・ドゥ・トロワ!)

 途端に立ち上がったかと思えば何事も無かったかの様に着席するいつも通りのセンパイがいつもと違う行動を取っていたのだが、元々センパイには固定概念と言うものが存在しないので、 (存在しても認めないだろうし殴り掛かるだろうし) 矢張りセンパイは侮れないと痛感した。別にセンパイを侮っていた訳では無いのだけれど、教科書を全て焼却炉に投げ棄てると言うのはどうなんだろう。


「勿体無いじゃないですか」
「デモ、使わなかと」


 教室から飛び降りて、ダッシュで焼却炉に向かい、軽々と焼き捨てる様を見てしまうと、これが初めての動作では無い事が嫌でも分かってしまって嫌な気持ちに成る。ぱちぱちと焼けていく教科書の片隅を眺めながら深い溜息を吐いた。


「誰のですか?」
「ン?」
「誰の教科書なんですか?」
「アラ」
「いつか怒られますよ、絶対」


 私はセンパイを叱らない。叱れる権限が無いのだろう。叱る事が更正の一部ならば、私が自らセンパイを叱ったり怒鳴ったり詰ったりするのは更正と言うより拘制に近しいからだ。

 センパイは炎に包まれる他人の教科書を尻目に、勿体無いシャーと言った。


「勿体無いシャー」
「自分で燃やしておいて」
「もったいないおばけが出るぞよシャァー」


 爪を出して猫の様に威嚇するオレンジ頭のセンパイは、何処か人間らしくない。とゆうよりこのひとの人間らしい姿等余り見た例が無いので取り敢えず向かってくるセンパイの手を残さず叩き落しながら、私は鸚鵡返しをした。「もったいないおばけ? 随分幼稚なお話ですね」。


「世界中の、」
「お菓子でも食べるんですか」
「不法投棄されたゴミ諸々、一個百円程度で作られ一億個以上が眠る対人地雷を、無料奉仕且つ永続的に喰らってしまうのだシャアァー」
「むちゃくちゃ良い人じゃないですか」


 そしたらセンパイは、人じゃない、お化けダ! と言って威張るので、私は迫り来るセンパイの手を更に叩いた。別に力も込めてないセンパイの手は簡単にぺちりと落ちる。メルヒェンも程々にしないと、とんでもない事に成ってしまう事を私は知っている。目の前の奇人はメルヒェンすら現実にする術を知っていて尚且つ退屈を埋める為に使用するようなどうしようもないひとなのだから。


「勿体無いってひとにゆわれると興醒めするよにぇシャアァァー」
「そろそろ、その語尾に突っ込んで良いですか?」
「悪の組織の団員っぽくないシェエー?」
「……っぽくないですね。チョコ食べますか?」
「食べユーン」


 顔を思い切り綻ばせてセンパイが笑うから、その笑みを払拭する様にセンパイの口の中にチョコを放り込んだ。艶かしく光るセンパイのくちびるを何となく眺めながら、先程センパイが言っていた言葉を頭の中で反芻される。センパイに出来るだけ分からない様にやったつもりなのだけれど、きっとセンパイは気付いている。けれどそれを口にしない。暗黙の了解が何処か居心地悪くて身を捻る。

 もったいないとひとに言われると興醒めしない?


「誰かに言われたんですか、勿体無いって」
「各々の持つ能力とは限られているから羨むのでアール」


 嫉妬。怨恨。愛憎。


「分からなくも無いのダ。持っていないから羨ましいのであり、手に入れてしまえば大して興味の無くなってシマウ。新たな世界を求めてクロスオーバー? イエイエ、指を一振りしただけサ。うじうじと嘆くだけはタダなのです。うらやましい、ああなりたい、イエスアイドゥー」


 自己愛がひどくて利己主義で勝利者主義らしいセンパイの話す言葉は異国の言語の様だ。
 勝手でわがままで自分を護る術を知らぬセンパイは、哲学の様なものを説く。
 糸をほどくように。

 自分に絡まる糸を、ほどけぬように。

 ぼくを糸で絡めてしまうように。


「今正に片付けようとしている玩具に対してチャチャを入れられると片付ける気が失せる。生きようとしてもがいている最中に生きろと命じられると萎えてシマウ。しかし元々の持つ力なんてほんとうは感覚の一押しだったりスル。思い切った決断程、あっさりしている、タトエバ、」


 センパイは奇術師の様に一礼。其処にシルクハットは無い筈なのに、私にはそれが見えた。


「誰かのものかも分からヌ教科書を燃やしてしまったり」
「それって思い切った決断なんですか?」
「怪我スル場所から飛び降りたり、」


 チッチッチ、口ずさむ音は的確。
 時計の針よりも正確。
 憂いを募らせる一挙一動にびくりと反応してしまう方が愚かなのか、そういう道へと導いているものが愚かなのか果たして真実なのは何も無いのだ。正しい事等存在していないのだ。なにひとつ。


「限りある未来を己の手でフェードアウトさせるのも、似たような高揚感」


 そう、ゆったセンパイの手を、

 私は捕まえる事が出来なかった。

 だってセンパイは笑ったから。さびしそうに笑ったから。当たり前だと嗤ったから。だから私はたたらを踏んだ。いつも通りに笑うから。きれいに美しく鮮やかに笑うから。唾棄したい程の笑みは私のこころを持ち去った。いまでも還してくれないこころを、センパイは何処迄持っていったの?


「――未来なんて、もったいないおばけに食べてもらったらどうですか?」
「ワンダフルッ! カッコイイ!」


 ほんとうは君の未来なんて全く興味が無いんだよ。
 僕が僕の未来に大して興味も心配も関心も期待もへったくれも持ち合わせていない様に、同じ様に僕は君を想っていたのはゆいいつの真実だと言ったらせせら笑ってしまうかな。それこそ、思い切った台詞なんだけど、きっと君は信じてくれないんだろうね。不信を信じて僕は微笑んだ。