さかなのめ
日常には奇跡等起こらない。
例えば雲の隙間から金平糖が降ってきたり、神様が目の前に現れてお願い事を聞いてくれたり、学校が爆破したり、 (いやいや、これは偶にセンパイがやってる) 世界がぐるりと回転してしまったり、 (いやいや、これも意外と現実的) 水溜りの中から女神様が出てきて金の斧か銀の斧をくれたり、いきなり私に羽が生える事等、無い。
退屈な日常は退屈な時間を生んで退屈な日々へと返る。刺激的なスパイスを加えるセンパイの存在はいつも凄いと思っているが、センパイの居ない日々を考えるとぞっとする。居て当然と思う方がぞっとする出来事なのに、私はどうやら初心を忘れていたらしい。
「何でゴーグルしてるんですか?」
奇跡は早々起こらない。だから起こった奇跡を残したくなる。文章で、絵で、口頭で。それでも奇跡なんて起こらないから誰も奇跡を信じなくなる。そうして奇跡が忘れ去られた頃にこのひとは登場する。今時マジシャンでも持たない様な大袈裟なシルクハットなんて持って、「奇跡は要らんかネ?」なんて言いながら現れるのだ。目に見えた奇人に対して皆が口にする。
(悪魔だ)>
「乙女の嗜み」
「嗜み以前にどうかと」
そんなこんなで夢も何もかも捨ててしまった現代に生きる私達に降り注ぐ奇跡等微塵も無く、恐らく神様さえ諦めてしまっている私達に対して、出来る事と言えば目の前の変人奇人阿呆で天才なセンパイが何か仕出かす事を今か今かと待ち侘びる事位なのだ。私は完全や完璧主義者じゃないけれど、センパイには完全を求めている節がある。
人間は不完全だからそれを当たり前と踏まえても、何か求めたい傾向があるので、それは仕方の無いことだと割り切って考えている。だってセンパイのやる事は何もかもがめちゃくちゃだから、めちゃくちゃなひとはめちゃくちゃなりに何か考える事があるのだろう。何かやってくれるのだろう。と期待してしまうのだ。
「又何か変な事でも思い付いたんですか?」
奇跡を信じない私達は、逆に言えば最も奇跡を待ち焦がれているものだと言える。
妄信的に、空から槍が降るのを本気で信じていたりするのだ。
「ゴーグル付けるとサー」
「はい」
「自分が行動してるのに誰か別の人間が行動している様に見えませんカノ」
センパイは水中で使うゴーグルを付けて、椅子に足を組んで座り、腕を組んで考え事をしているかの様に振る舞い、首を傾げて見せた。オレンジ色の髪の毛が靡き、日の光に照らされた。放課後のゆるやかな夕焼けの光はセンパイのオレンジの頭を引き立たせたけれど、私にはさっぱりとそれが綺麗だと思えなかったのは、きっと奇跡に対して若干の恐怖感を抱いたからだ。
起こって欲しい奇跡は起こって欲しくない奇跡に良く似ている。
例えれば雲間から金平糖が降ってきたら面白いかも知れないが、途轍もなく困るのだ。誰かに説明しても信じてもらえないだろうし、それに空から降ってきた金平糖をどう処理して良いのか分からないし、センパイに言ったらそれこそ桶を持ってグラウンドで一日中待機してそうだし。そう考えるとセンパイは馬鹿みたいな話でも真面目に捉えるひとだと思った。
「自分が腕を上げてクロールしてんのに、誰か別の奴がクロールしてるみたいでサ」
「ゴーグルに映り込む時に屈折か何かしてるんじゃないんですか?」
「ウン、してんの。魚の眼ってダブって見えるカラ」
そういえば自分が泳いでいるのに隣のコースを誰かが泳いでる様な錯覚を味わった事があるな。と考えてから納得した。でもそれを日常に持ち込むのはどうなんだろう。私は考えるのをやめた。どうせ答えが出ないし、出るとしたらとっくにセンパイが思い付いているからだ。
そんな万華鏡の様な風景を味わいたいなら、ゴーグルではなく、魚の眼でも無く、虫の目にすればいいのに。と私の簡単な頭はそう答えを出した。でもとっくにセンパイは気付いている。そして後日実行するのが目に見えているのだから、矢張り何処迄も侮れない。侮ってはいけない。
「魚ってサ、普通ピンボケなのに人間より動体視力良いヤツも居るらしいゼ」
「深海魚は目悪そうですね。そういえば魚の眼が銀色なのは何でですか?」
「グアニンの沈着にヨリ」
センパイはあっさり私の質問に答えてから、人間より動体視力良い魚を捕まえに行こうと張り切っていた。だからゴーグルをしていたのか。と私が納得するや否や、センパイは手を天井に突き上げて言った。
「敵が一杯に見えますわヨ!」
ああ、そうか。
センパイが普段から付き纏われている人達に、ハンデを付けたかっただけなのか。
自分が動いているのに他人が動いている様に見せかけて、自分がそれを上回る事をわざわざ証明する為にゴーグルを付けて行動していたのか。何だ、いつも通りのセンパイの行動に思わず溜息が漏れた。
日常に奇跡は起こらない。だからこそ、いま一瞬を大切に出来る。