そらへとのぼるきざはし

「ワチキはどんな目に遭おうとも生きル」


 目の前に広がる明日がどんなに果てしないものだとしてもそれを捻じ伏せる力が必要だ。
 捻じ伏せて潰して減り込ませて消し失せる強さが必要だ。


「センパイは強いですもんね」
「強いってサー」
「何ですか?」


 強いってヒドイコトバだと思わない? センパイは私にそう聞いた。非道な言葉は沢山ある。頑張って、負けないで、未だ走れるよ。全て激励のつもりなのにいつしかそのひとを苦しめ追い遣り死に向かわせる言葉の数々だ。その他にも知っている。直ぐ様三つ出てきたのだからもっと出てくるに決まってる。

 センパイは強いひとだと信じてた。牢固として揺るがないのはセンパイが強いから。軍へ行くのもセンパイが強いから。毎日訪れるセンパイ宛の軍人メニューもセンパイが強いから何とかなるんだって思ってた。でも言葉にしたら全然違うから、なんだ、もっと早くに気付ければ良かったのに。と何度も逡巡した。


「強けりゃいいってもんでもないジャン」
「弱いよりは強い方がマシだと思ってますよ」
「そらそーだがヨ。要所要所に因って使い分けでもイーと思う訳。時々は弱くてもイー。時々は強えーから」
「誰の事ですか?」


 センパイは更なる追求を許さない様に笑った。あくどい笑みだ。
 皆この笑みに騙される。私もそのひとり。

 給食が終わった後のほんの数分の休み時間をオイラにくりっ! とセンパイがゆったのはついさっきの話で、何処に行くのかと思えばセンパイがいつも願ってやまなかった屋上の鍵をセンパイは遂にジャックしたらしく、センパイは大空の中に溶けていった。のは私の視点から見たセンパイの背中であって、ほんとうに溶けた訳ではない。

 センパイには空が似合う。大空が似合う。風が似合う。オレンジ色の髪の毛が揺れる。
 空に落ちた一滴の絵の具の様だ。大空にオレンジが映えている。


「昨日自殺した子の遺書、見た?」
「センパイがそんなものに興味を示すなんて吃驚ですよ」
「書いてあったのは普通の事だっタ。つらい、くるしい、ここからにげたい。死ぬにも勇気が必要だと思わんのかネ。生きるよりよっぽど簡単だがよっぽど勇気が居るゾ。生き地獄とゆう言葉があるクライ」


 生と死。あいまいな境界線。
 空を過ぎった飛行機の作ったひこうき雲の方がよっぽど分かり易い。空を分断する線のがよっぽど分かり易いし納得出来る。あそこから先は行ってはいけませんよ。此処から先は踏み込んではいけませんよ。曖昧で複雑で入り組んでいる。

 私はセンパイの自論に興味を持った。
 このひとは本来、全く意味の無い事は言わない主義だからだ。 (君からお遊びを除けば、)


「屋上の端に行くと落ちますよ」
「落ちねえヨ。藤村様だかんネ」
「それも勇気ですか?」


 センパイは動物が耳を傾げるのと同じ仕草をした。まったく動物らしからぬ人間なのに、このひとは何でこんなにも様に成っているのだろう。きょとんとした顔もぱちくり瞬く目も全部嘘の塊なのに、何でこんなにも私はこのひとのことが、 (ああ、かみさまってやつは)


「死ぬより生きる方がマシ。死んだら何も無くなる。富も栄光も企ても策略も無くなる。そんな世界は御免ダ。御覧、市川ぴょん。ワチキをお陀仏させようとミイラ取りがミイラになった連中のドッグタグサ。こいつ等はもう墓を掘り起こされない限り奇跡が起きない限りあたしに手を出す事は叶わん。復活の希望、オウブラボーワンダフォー。だが実際現実に復活は無い。ゲームにリセットボタンは無い。何たる青春!」


 ちゃらちゃらとセンパイに似合わない銀色のタグが光ってると思ったら、センパイの敵から奪ったものを身に付けていたんですか。そう問おうかと思ったらセンパイは大きく振り被ってそれを全部屋上からグラウンドに向けて投げてしまった。太陽光が反射して銀色のチカチカ光るタグが目に痛い。目を窄めてセンパイを見ると、奇怪に笑っている。なんてさみしいひとなんだろう。


「死ぬのは御免だゼ、相棒」


 ――どんな目に遭おうとも生きてみせましょう。


 それは切実な賭け。
 どれだけ人間が耐えられるかという枠を超えた問題。常識を逸した所で派生した孤独な賭け。両手の掌で抱き締められるものがどれだけ少ないものか満たされぬものか知らしめる問題。貪欲で悲しくて寂しくて淋しくて死んでしまいそうなのに未だ許されないから又踏ん張るとゆう、君のどうしようもない覚悟。


「死んだらつまんないですもんね」
「そゆコト」


 センパイは太陽に向かって手を伸ばす。その手がいつか太陽を捻じ伏せた時、このひとの願いが叶う時、私はきっと隣には居ないのだろうから、いまこの瞬間だけを私は共有する。センパイと言う大嘘吐きと。