まひるのほし

 今朝教室に行ったら机が無かった。
 焼却炉横に行ったら、燃えるゴミの傍に無残にも机と椅子が乱暴に置かれていた。おまけに油性マジックで落書き迄してあって、これも何もかもあのひとの齎す惨劇の数々なのだろうと思って溜息を吐いた。

 机を持ち運ぶ頃には既に授業のチャイムは鳴っていて、洗剤を借りようと思って当てにしていた職員室にもとっくに鍵が掛かっていて、私はしょうがないから空き教室の机と私の机を交換する事に決めた。空き教室なら鍵は必要無いだろうし。勝手に机を取り替えても分からないだろうし、どうせあの机は余り物だろうし。悪い意味では無いのだけれど。

 空き教室に行くと其処には独特のにおいがした。古びた木々のにおい。折れたチョークに汚れた黒板消し。完全に消し切ってない黒板の文字が残っていた。前方に机と椅子が大量に積まれていて、私が其処に自分の机を持っていく頃には私の息は上がり、漸く机を交換した時には汗だくだった。


「あたしは机の精霊デース。あなたのお願い三つまで叶えマース」
「結構です」


 神出鬼没なこのひとに一々付き合っているとキリが無いので、私はそそくさと自分の机を替えた。このひとに付き合いたいのは山々だけれど、いま私は無性に誰かを殴りたくて仕方ないのだ。虐めには成れっこだけれど、それをこのひとに見破られるのは何となく癪なのだ。この落書きだって見られたくない。


「ノタヒネ。ヒドイ」
「見ないでくださいよ」


 見られたくないのに勝手気儘に見てしまうセンパイをどうにかして黙らせたい気持ちで一杯に成った。私は替えの机と椅子を確保してから溜息を吐き、仕方がないので椅子に座った。センパイは足をぷらぷらさせながら机の上に座っている。オレンジ色の頭が憎い。


「どったの」
「いつもの事ですよ。大して珍しくもない事ですし」
「ナラなんで機嫌悪ィの」
「面白くない奴ですからね、私は」


 皮肉を混ぜてそう言えば、センパイは困ったような悲しいような複雑な表情をした。
 その顔に私が弱いと知っていて遣っているのか否か。きっと知っていて遣っているに違いない。性根の此処迄腐ったひとは他に知らない。腐っているのに此処迄透明なひとも知らない。センパイは私の予想の斜め上を突っ切るひとだから又別の事を考えているのかも知れない。運悪く私が気に食わない人の名前を出したら、その人に復讐をしに居かねない。行かないかも知れないし。


「気の利いた事も言えませんし、他人を気遣う台詞も吐けません。集団行動も苦手ですし、他人と合わすのも苦手です。直ぐに人を疑ってかかるし、道徳概念だって他人とはずれてます」


 センパイは気の向く儘に行動する自由なひと。
 何にも縛られない (それでいて銀のブレスレットに縛られている) ひとで、このひとを拘束したら他の何を捕まえるのも容易いだろうと思われるひと。次の瞬間には何をするのか分からなくて、謙虚だとか素直だとか廉直とゆう言葉とは正反対の場所に居るひと。

 なのに気に成って仕方なくて結局視線は奪われて。このひとが次に何をしてくれるのか、しようとするのか楽しみでしょうがなくなってしまって、段々センパイにのめり込んでいる自分に気が付いて、はっとして、どうしようもなくなって笑ったら、ああ、そうなんだ。と又ゆるゆると笑って。


「周りと合わせるのがそんなに偉いんですか」
「少なくとも今の教育はナ」
「センパイも他人とは懸け離れてますよね、何もかも。それでどうしてそう居られるんですか?」


 ふにゃりとヘコんでいるセンパイの表情を伺う事が出来なくて私は俯いた。そんなの答えは分かり切っている。センパイは私とは違う。センパイはセンパイの信念に則って行動している。確固とした覚悟に狼狽せず向かっている。追い駆けてくる闇に手を振りながら笑っていられる強さを持ち合わせている。

 机が無かった位で、机に落書きがあった位で、自分の位置を再確認する私とは違う。
 センパイはもっとずっと辛い場所で戦っているのに、ひとりで戦っているのに、私はこんな場所でちっぽけな弱音を陳腐なこころで吐いている。センパイと私は、違う。 (ちがうんだ、言いたいのは、)


「昼にナ」


 センパイは足をぷらぷらさせながら口の中で飴を転がしている。
 今日も授業をサボっているのだろう。だからこんな空き教室に居るのだ。私の机が無かったのも全て知っているのだ。何処で仕入れたか分からない風の噂を頼りに私の居場所を辿って空き教室に着た。私が机を替えに空き教室に来るだろうと予想を踏んで、その予想が確証に変わって私の所に、着た。


「星が見えたヨ」


 だからきみにも見せてあげようとおもったんだ


 反則じゃないですか。
 私はその一言が言えなくて俯いた視線を上げる事が出来なかった。この自由気儘で勝手に生きているオレンジ色の猫は、私の所にわざわざ重い腰を上げて着たのだ。私の近くに、傍に着たのだ。それにどうしてもっと早く気付いてあげられなかったのか、私はどうかしている。このひとは、何にも縛られないこのひとが大切にしているものを私はもっと早く汲み取ってあげるべきだったのだ。


「モウ、消えたカナ」
「……未だ消えてませんよ」


 低く重たいその台詞には涙の声が混じっていた。鼻の奥が痛い。目が熱い。
 反則だ。そんなの、反則だ。
 私の為だなんて。

 僕の為に傍に来てくれたのに、どうして僕はそれに気付いてあげられないんだろう。


「私には未だ、見えます」


 星の色はオレンジ色。平均身長よりも小さくて、Yシャツの下にTシャツを着て、規則破りの膝上スカートを穿いている。いつも飴を舐めていて、物足りなさげに指の第二関節を甘噛みするひと。


「見えますよ」
「そうカァ」


 センパイは満足げに微笑んでいる。私は真っ赤に染まった顔をセンパイに向けるのが何だか億劫で、明後日の方向に顔を向けた。口を真一文字に結んで、何事も無かったかの様な顔をする。何も無い訳無いじゃないか。馬鹿じゃないか。 (どっちが馬鹿なんだか) きっと馬鹿なのは私だ。

 どんなに机を汚されても、どんな目に遭っても、私は目の前の光から目を逸らす事は無い。真っ直ぐ光の方へ進ませてくれるこのひとは、自分自身は闇の中へ進もうとしているのだ。それをどうして許せるとゆうのか。 (誰かこのひとを救ってください) その星は芳しい。私の目の前で確かに光り輝いている。