きみのやさしいて

 何だか今日は熱っぽい。


「っくしゅん」
「Bless you」


 軽めの風邪を引いたらしい。喉がいがいがして声が出難い。何だか頭も熱いしボーッとする。出来れば動かずに居たいし、ぼんやり口でも開けて眠っていたい気分なのだ。微熱なのだろう。若干額が熱い。


「ネギ巻く?」
「どっから出したんですか」


 声も鼻声で咳が止まらない。もう早退した方が良いなと判断して保健室へ足を向けて、ぴたり、と止まる。後ろにはセンパイがさも当然と言った素振りで付いてくる。別にセンパイと共に行動するのは可笑しな事でも何でも無いんだけれど、阿呆で気分屋で悪い事大好きなこのひとが保健室に同伴するだけだとは考え難かった。どんなに高熱が出てもこれだけは分かる。きっと禄でもない事をするに違いない。


「センパイは付いてこないでください、ひとりで帰れますから」
「大丈夫、ワチキの目的はソレではナシ」
「だから問題なんです」


 ちっとも大丈夫じゃないじゃないか。遣ろうとしている事はいつもと同じじゃないか。悪戯が大好きなオレンジ頭のセンパイは、あくどい笑みを浮かべながら私の後ろを付いて来る。暗雲が歩いて遣って行きますよー。と私は周囲に囁きかけたく成ったけれど、センパイのプライドの為に止めておいた。

 このひとにはプライドがある。だから何でも出来る。どんな非道な事でもどんなに汚い事でも遣ってのける理由がある。それはプライドがあるからだ。どんな事が起ころうとも曲がらないし狼狽しないプライドはセンパイを奮い立たせる。私はそれを憎らしく思う。私もそろそろ好い加減に悟ればどうかと思うのだけれど、センパイの遣る事は矢張り意味深で奥が深くて理解出来ない。


「今日は厄介を起こさないでくださいね」
「爆弾呼ばわりかネ」
「センパイは歩くニトロですから」
「声ガラガラだネェ、平気?」
「平気だったら早退なんてしませんし保健室にも行きませんよ」


 センパイの様に気分次第で保健室を爆破したりするのとは訳が違って、必要以外に保健室には行かないのだ。そりゃ怪我をしたり風邪を引いた時はベッドがある方が楽だし休みたいのは山々なのだが、別名歩くニトロがその場に居ると一転して其処は地獄地帯へと変貌するからなのである。

 保健室にセンパイが居るのは多々ある。概ね先生を追い出してジャックしているのが殆どなのだが、アルコールのにおいが好きとか理系な事をほざき、エアコンを全開で掛けているのがしょっちゅうだ。三年生が主に使用している保健室のベッドは空く事がほぼ無く、保健室に行くイコール早退とゆうのが定説に成りつつあるこの頃。センパイは保健室へ行く私の後ろをちょこまかと付いて来る。


「早退届貰うなら職員室のが近いノニ」
「案外まともな事ゆうんですね。体温測っておいた方が言い訳し易いでしょう?」


 早退届を貰う為に職員室と保健室を行き来するのは面倒だけれど、微熱を証明してから早退届に担任のサインを貰った方が都合が好い。序でに職員室の先生が留守だった場合、もしくは保健室の先生が留守だった場合、勝手に帰宅する上で熱は重要なパラメータだからだ。


「何するんですか」
「手当てしちゃる」


 センパイは私の前にさっと回り込み、掌を私の額に付けた。
 私の背よりも一回り小さいセンパイが私の額に手を届かすには背伸びする必要があって、センパイの掌はとても冷たくて気持ちが良かった。手の冷たいひとはこころがあたたかいとゆうが、いまはそんな稚拙な話は如何でも良く、私は惜しい事だとは思ったが必死に咳を抑え込んでセンパイの掌を払った。


「風邪うつりますよ」


 それでも尚センパイはペトペトと私の額に触れ、冷たい体温を私に流し込む。
 無駄だと分かっていてもそんな事をするセンパイの仕草がずきりと痛くて、私はもう一度払った。


「結構です」
「好きなだけうつせばイイヨ」


 ずきり。
 私の胸は杭で打たれる様に痛んだ。

 それがやさしさだと分かっているからこの胸は痛む。理解しているから飲み込めない。信じているから受け入れられない。やさしさは時に刃物よりも鋭く尖る。やさしくされると巧く笑えない。毒も吐けない。何故だか分からないけれど悲しくなる。(なぜ、泣きたくなるの?)


「うつせませんよ。それに直ぐ治りますからセンパイは厄介をこれ以上増やさない様にしてください」
「善処するヨ」


 何処ぞの政治家みたいな台詞を吐いたセンパイを撒いた私の胸はずきりと痛む。
 センパイに触れられた額が、触れられる前よりももっとずっと熱を持っているみたいでくらくらする。

 やさしさは怖い。もっと辛辣に接せられる方がよっぽどマシだ。捻くれた考えなのかも知れないが、あんな風にされたら誰だって参ってしまうに決まっているじゃないか。私はひとり落ち込んだ。


「早く治せヨーイ」


 保健室の扉の向こうからセンパイの声が聞こえて、私は、はい。と小さく呟いただけで会話を終えた。私の肯定の言葉はセンパイに届いてないのかも知れないが、私は何となくセンパイには全て見透かされている気がしたので恥ずかしくなった。センパイの冷たい手。私は思い出に指を重ねる。センパイの体温が残っている気がした。未だ此処に、センパイの掌がある様な気がしていた。