その問いはベストアンサーに酷似する
人間の脳は生まれて死ぬ迄の間に一パーセント未満しか使われないそうだ。細胞も無限に再生するし、刺激を受け続ければずっと活性化している。老化の原因は不明であるが、複数の要因が考えられている。老廃物(リポフスチン等)が細胞に蓄積されて機能低下を起こす説、様々エラーが蓄積する説、遺伝子に老化がプログラムされているという説などがある。要するに人間が何故老いるのか未だに解明されてないらしい、とセンパイが嘲り笑って教室から紙飛行機を投げ飛ばした。
オレンジ色の空に吸い込まれていく紙飛行機、元テスト用紙は大した飛距離も出さずにグラウンドに落ちた。センパイは解明する気はないんですか? と私が余りに突発的で稚拙な問いをしたら、むなしくなるだけサ。ときれいに微笑んで言った。何故虚しくなるのか分からない。私はそれを知りたいと願う。けれどセンパイはそれを秘密のベールで隠しておこうとしている。見なくていいヨ。そう言われてる気がした。
ひとは自ら死にたいと思わない生き物らしい。脳のある種の物質が狂い、失調してしまう事はあるが、基本的には人間は死にたいとは思わないらしい。だが最近の自殺率を見ているとそうも言ってはいられない状況に違いない。自殺率だけ見てもそうなのだから、未遂で終えてるひとなんてもっと沢山居るんだ。未来に絶望して現在から消えてしまいたいと願う。私は死にたいとは思わないから良く分からないけれど。
「センパイは死にたくなる事って無いんですか」
「あるヨ」
「えっ」
絶対有り得ない方の答えが返ってきた。間髪入れずにセンパイはそう答えた。その答えには何の迷いも躊躇も無かった。だから嘘なのかなと少し思った。けれどセンパイの目は雲ひとつない晴天に良く似ている。嘘を吐く理由が見当たらないのだ。
「実はワチキってばすんげー繊細な脳味噌してるからほんのチョビットの事で傷付くの」
「傷付いたら死ぬんですか」
私は大変な事に、センパイに死なれると困る。と言う状況下、センパイに易々と死の階段を駆け上がってほしくないのだ。今私には、センパイが必要だ。呼吸で酸素が必要なのと同じ位、花に水が必要なのと同じ位、地に人が満ちているのと同様に、私にはセンパイが何より必要なのだ。居なくなられると死なれてしまうと大変困窮する。エゴに過ぎない台詞だ。だけれど何より真実だ。
「ウウン。デモ、辛くなる。力が入らなくなる。明日が要らなくなル」
センパイは私とがっちり目を合わせながら悟った。このひとも悩む事が……いいや、違う。このひとは何十通りの答えを持ち合わせていていま一番近しい答えを選んだに過ぎない。満足のいく、私を納得させる答えを選んだに過ぎない。全ては意識的な選択だ。
常日頃から選択を迫られているセンパイにとってこんな小さくささやかな選択は、意味を成さないかも知れない。けれど私は知っている。センパイが選択する時の些細な癖。小指の第二関節を甘噛みしながら飴を舐め、様々なシチュエーションを様々な人間模様で遊ばせた後に選択するのだ。意識的に、センパイは世界を作る。それは私が欲しくて欲しくて仕方がなかった世界。誰にも手に入れられない世界をいとも容易くセンパイは想像し、創造する。このひとがどうしてかみさまに成らなかったのか不思議だ。
「ゆいいつ違う点がアルマーニなら」
笑む。センパイはいつも不敵に笑う。無自覚の罪に酷似している。
「頑張ってから死にたいんダ。自分に負けたと思われるのが嫌ダ。其処迄の人間だったのだと曲解されるのが嫌ダ。勝てば官軍、負ければ賊軍。結局そういう程度の人間でしたのよと枠に嵌められるのが嫌ダ」
最後の瞬間が来ても高潔で美しくありたい。人間として生きていたい。
全てを返還しなくちゃいけなくても、唯ひとつ、護りたいものがある。如何しても譲れないものがある。
「誰かに想像される場面でBANG! 予想の範囲内でBANG! そういうのは辞したい。誰かに理解されたいとは思わないし、ソイツの理解の範疇に収まって死んでやる気は更々無ェ。望み通りに死ぬのは嫌だしダカラって予想外に死ぬのもなるべくヤダ。それでもある日ある時ある瞬間そういう時が来たナラバ」
私には一瞬その意味が理解出来なかった。きっと私は体験していないからだ。私はこのひとの片鱗さえ知る事すら許されず、その悲しみを汲み取る事は結局不可能だった。センパイの眼から世界を見るのは出来なかったし、しようとも思わなかった。溝が、轍が、偉そうに隔たりを作った。
「あたしは闘ってから死にたい」
見ているものすべてが狼狽してしまう目が、くちびるが、そう言った。確固として揺ぎないものに騙されてしまいそうになる。このひとの前だと足を砕いて跪きたくなってしまう。闘ってから? 何故そんな事を言うのだ。そんな酷い闘いを聞いた事が無い。全て無に等しい闘いで、勝っても負けても結局は負ける様な戦に、端から気付いているのに尚も闘うのか。どうして。
……どうして?