裏切りの準備が進まない
『求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます』 ― マタイ7:7
この聖句を好んだ宗教改革以前の改革者ウェッセル・ハンスフォルトと言う人は、「尋ねない限り知識は増えない」と言っている。ウェッセルにとって聖句の解釈は文脈と調和していなければならず、こじつけの説明や曲解は異端的な考えだった。ウェッセルは上記の聖句に励まされ、質問する事は何より有益だと考えていた。相手の意見を知り、自分の意見と重ね合わせ、そうして学習していく。
余りにも他人の意見が自分とは異なっていた場合、それを受け入れようとする寛容な心、もしくはそれもひとつの意見だと認める事が必要だ。人間社会と言うのは先ず排他から始まるからだ。彼等は私達を除外し、無かったものとして見ない振りをした。今迄は私もその中に居た。在るけれど見なかった人達の中に居た。センパイは何処を探しても居なかった。もうとっくの昔に排斥されていた。
センパイは見ない振りをされていても怒らず、焦らず、かと言っていきり立って叫び散らす事はせず、静かに、そして確実に、蛇がゆっくりと腹這いに地面を滑る様に、迅速に己の存在を確立していった。
もうセンパイを見ない振りは出来ない。
継続は力なり。何処に辿り着くのか分からなくても何かを成し遂げたければ先ず、一歩足を踏み出す事が大切だ。踏み出さなければスタートラインにすら立てない。立ったとしても直ぐに誰かが引き摺り落とすだろう。万が一立てた場合、次のステップとして、続ける事が重要に成ってくる。
いやはや、これは難問である。
第一、簡単な事は長く続くが大きい実を生まない。苦しい事は長続きしない。ならどうやって根気強く粘る事が可能なのだろうか。少なくともいまと言う日常が長続きしないだろうと自負している私達には、毎日太陽を拝めて残り日数を計算する事はしない。
続ける事は大切だし、とっても力が要ると思うけれど、何事も続けていれば何かしら変わるかも知れないし、そういう雲をつかむ様な漠然とした何かを抱え込んでいるのだけれど、どれもこれも現実味が欠けているので、私とは遠い世界の話なのだと高を括ってみれば、存外そんな事も無く。
「さて、市川ぴょん。地球は何色デショウ」
「ガガーリンですか?」
「ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン。千九百六十八年三月二十七日、搭乗したMiG-15UTIでキルザッフ付近を飛行中、墜落死。代表的な言葉は『地球は青かった』、ソレカラ『神はいなかった』」
求め続ける。探し続ける。叩き続ける。そうしなければ進めない。
ならば私達には何が出来るだろうか。願い続けるだけでは余りにも杜撰過ぎやしないだろうか。だからと言ってどでかい何かが出来る訳でもなくて、こういう思想に浸るだけで実行しないのが私なのだけれど。
「ガガーリンが青いと言ったって、地球はホントは青くないかも知らん」
「じゃあ赤いんですか」
「そうかも知らん」
この対象者をセンパイに移してみると話はがらり、と変わってしまう。センパイはそもそも既に学習し終わっているのかも知れない。私の知らない部類のものを沢山吸収し、自らの力に変えて蓄積している。センパイは私と喋っていても知識が増えないかも知れない。けれどセンパイは私と喋り続けるだろう。何故ならこの瞬間が二度と訪れない事を知っているからだ。
それにセンパイは求め続けたりはしない。己の足で近寄って、己の腕で掴み取り、己の足で帰ってくる。基が違うのだ。誰かに頼んだりは決してせず、誰かを待っていたりはしない。その路を己の能力で走り抜ける。全て自分の力で成し遂げてしまうセンパイの後姿はひとりぼっちだ。
「地球が赤いって、新説も良い所じゃないですか」
「簡単な嘘だヨ。単純な嘘。地球は赤い。それはほんの一握りの人らしーが、何処かに赤い地球があると妄信的に信じ込んでいるのダ。もしくはこの世の真丸い地球が赤いとか、信じちゃったりしてる訳サ」
「だけど地球は青い」
「YES!」
私はセンパイには成れないし、センパイも私には成れないし、お互い過不足無く付き合えれば何の障害も無かったのに、そんな事はありっこないと頭の奥で激しく怒鳴っている。世界が違うもの同士が同じ場所に居たって、隔たりや溝を嫌と言う程痛感するだけなのだ。だってこのひとは綺麗なんだもの。
「だからサー、問題は根底だと思うんだよネ」
「赤い地球?」
うみ付かれて動けない場所でも笑っていて、自分では汚いだとか非道だとか言ってる割には遣る事成す事完璧で、その癖ぶきっちょでへたくそで寂しがり屋で、憎めど憎めど、罵倒せど、みすぼらしい世界でうつくしく笑って、疲れ果てた私に向かって名を呼ぶ。
そして私は思うのだ。
神よ、何故このひとをこの世界に連れてきてしまったのか。私は愛さずにはいられない。
「赤い地球を否定するには、先ず地球は一個ってとっから説明しないと駄目ざんしょ」
「水金地火木土天海冥って言いますからね」
「広い広い大宇宙。ブラックホールさえあるのジャカランダ、生命の生存が確認されている星が他にもあったら説が如何変わるのか見物じゃアルマーニ! パラレルワールドがあっタラレバ!」
求め続けなさい。探し続けなさい。叩き続けなさい。
結果だけを求めてしまえば続ける事に意味なんて無いのかも知れない。それでもセンパイなら経過も過程も完璧にこなすんだろうけど。私には出来ない。私は不完全な人間だ。罪を持った人間だ。そう言ってしまえば楽に成る気がしたけど、全然楽にならなかった。寧ろ言い逃れの道を見い出した様に思えた。
センパイを見ない振りは出来ない。
受け入れなければいけないのに、それしか道は無いのに、身体全体が拒絶する。
そのひとの世界に足を浸ける事を拒み、恐怖の渦へ取り込まれてしまう。愛と憎しみが正反対に位置している様に、もうセンパイに対して無関心では居られなくなってしまったのだ。
「タラレバ、ワチキは王になってるだろーう」
「どうせなら神様とかになっちゃえば良いんじゃないですか」
「イエッサー。そうしたら世界征服なんぞ簡単ですの」
私達は世界征服をする。それは唯の妄想や妄信ではなく、実際に、現実に、世界征服をする。
何故、と問う事が許されるのならば、何故このひとをこの世界に産み落としてしまったのか聞きたい。そして何故こんな風に存在してしまったのか聞きたい。私はどんなに憎んでも愛しい気持ちが勝ってしまう。同時に憎しみも強くなり、やがてそのふたつの感情は私を喰い殺すだろう。