「いつか死んでしまうのなら、生まれてきたくなんてなかった」(君は泣いた)

 センパイは至って平常な顔をしながら玉ねぎをしゃりしゃり食べていた。センパイの食生活については良く知らないけれど、玉ねぎと言う野菜は強い辛味を持ち、切ると硫化アリルの所為で涙が出る事は知っている。だがセンパイは普通に玉ねぎを丸齧りしている。シャリッと林檎の様に丸齧りしている。

 この際「からくないんですか」、と至って平凡な質問をするのは聊か平凡過ぎる気がしたので、これもそれもセンパイの奇行として頭の中で処理する事に決めた。それが一番適していると考えられるのは今迄の経験の所為で、センパイはこちらが思っている事の大体斜め上、更に傾斜角を付けて大凡考え付かない様な世界で生活しているひとなので、非凡過ぎるセンパイに平凡過ぎる質問は如何かと思った。


「あいたいひとがいます」
「何ですか」
「居ますか?」
「質問ですか」


 センパイは玉ねぎを丸々完食してしまうと、何処からか二個目の玉ねぎを取り出した。辛くないのか、好きなのか。いやいや、センパイの好きなのは口の中を随時潤してくれる飴だし、飴は甘いし対極的だ。それよりその玉ねぎの出所は何処なのか、又調理室から失敬したのか、又呼び出されるのか。


「居ませんよ」
「家族とかサー」
「私聞いた事無かったんですけど、センパイの家族ってどんなひとなんですか?」


 一瞬つと、止まって、


「会いたいひとじゃねーナ」
「なら誰に会いたいんですか?」
「ヤ、もし会いたいひとが居たらもう一度この世界に生まれてきても良いかって思えるかっつーて」


 玉ねぎを歯で噛み砕きながらセンパイは徐にそう切り出した。嗚呼、そうなのか。それが聞きたかったのか、と私はセンパイの意図を可能な限り汲み取り、思考を巡らす。センパイの期待に添える回答は生憎持っていないので、そうならば初めからそんなもの携えずに自分なりの解答を捻出するだけだ。

 このひとは、頭が阿呆みたいに切れて狡賢いので、私が言う事なんて一から十迄全て分かっているのだ。分かっていて質問をする。何て不毛な事を、と思うかも知れないが、それがセンパイなのだ。普通のひとならば一から十分かっている相手に対して何の感情も抱かないか、もう理解したとふんぞり返って話を聞こうとはしない。けれどセンパイは私の拙い答えを待ち侘びている。


「センパイは?」
「チミ、ワチキをそんなに美化しない方が良いぞえ」


 でしょうね。と私が言い返すと、だろうゼ。とセンパイが返した。
 でもどうせならば聞きたかった事なので、此処はおこがましくも更に問うてみる事にした。


「何が嫌なんですか? それとも不満?」
「何モ。唯もう一度遣るには余りにも杜撰だと思っただけサ。それに遣りたい事はもう殆ど遣り尽くしちまったし、そうなるともう次には現在状況に対して不服や不満を捲し立てるだけだもんで、そう成っちまうと退屈に成っちまうから理知ある被造物である我々は何かを踏み躙りたくなるのサ」


 現在進行形の日常を最大限に楽しんでいる様に見えるセンパイが発するのには余りにも計画性の無い突飛な意見だったので、私は即座にセンパイにこう切り返したのだ。


「嘘吐かないでくださいよ」
「悪ィな」


 センパイが言っているのは全てが全て嘘では無かった。だから一概に嘘だと断定する事は出来なかった。いつもセンパイはわざわざ嘘とほんとうをごちゃ混ぜにして私の前に持ってくる。だから私は狼狽する。真実なのか偽りなのか見分けられなくて躊躇する。当然の反応である。

 へへへ、と笑うセンパイに思わず苦笑いに成る私が見たのは三個目の玉ねぎ、プラスレモン。一寸味に飽きたので酸味を加えたいらしい。一々突っ込まない事に決めた私は、皮を剥いたレモンを又もや丸齧りしているセンパイから少し目を逸らすと、鼻先に湿気を感じた。雨のにおいがする。


「センパイ、傘持ってます?」
「アー、今日は無ェ」
「私置き傘しかないんですよね。途中まで入っていきます?」


 近い内に雨が降るだろうと私が予測して空を指差せば、センパイは私の指を辿り空へ目をやる。レモンの汁が飛び散らない様に手を添えて食べながらじっ、と空を睨む様に眺め、アア、と酸素を吐き出す様に言って笑った。ふんわり笑うセンパイは相変わらず見惚れてしまう。如何してこんなに笑めるのだろう。


「残念ながら降らんヨ」
「そうですか」


 動物性の勘に関してこのひとの上を上回る事は先ず無理な話なので、動物的勘をいま正に駆使したセンパイの意見に反論はせずに私は頷いた。如何やら置き傘の出番は無いらしい。私の感じた雨のにおいも勘違いだったらしい。と、私が勝手に解釈をしていると、センパイはシャリッと玉ねぎを齧る。


「デモ通り雨はあるナ」
「じゃあもし帰る時に通り雨が降ったら入っていきますか?」
「Iporante avei!」


 その時私の胸に秘かな疑問符が浮かんだ。
 センパイの家族って。


「生きているものは自分が死ぬことを知っている」
「何ですか、それ」
「自分の道筋すら満足に築き上げられない人間が唯一にして最大理解可能な事ダ」


 レモンを食べ終わったセンパイは指先に付いたレモンの滴を舐め上げながらそう言った。狡賢いセンパイの事だ。私がセンパイの家族の事について聞きたがってると思い別の話題に逸らしたのだろう。そして私はまんまとセンパイの策にハマってしまうのだ。悲しいとは思わない。センパイの思い通りに成るのが悔しいとも思わない。でも私が喋るのは決してセンパイの想像では無いのだ。


「死ぬ時は分からずとも、生きていればいつか死ぬ。絶対、死ヌ」
「不老不死の人間でも造るつもりなんですか」
「他人の事はなにひとつ理解出来ぬと言うのに、これだけは確かなのだヨ。悲惨だと思わないか? 生きている限り絶対おっ死んじまうのサ、悲しいかナ、これだけが最初で最後の真実ダ」


 私はセンパイの家族がいま生きているのか死んでいるのかも聞く事が出来なかったが、センパイにとっての他人が家族に迄及んでいる事は理解出来た。家族さえも他人なセンパイが私を如何思おうが、結局私達は一度も交わらずに別れて行ったのだから。

 そして確かなのは、センパイがどんなに天才で阿呆であろうが、私がどんなに平凡であろうが、太陽の光が平等に降り注ぐように、死は平等に私達に訪れると言う事実だけであった。